ジェントルかっぱのブログ

読書、映画、美術鑑賞

【読書】神田古本まつり

土曜日に神田古本まつりに行った。
すずらん通りの「キッチンジロー」で昼食をとり、腹ごしらえをしてから散歩へ。
靖国通りを、駿河台下から神保町の交差点まで進む。岩波ホールで映画のパンフレットをもらい、岩波ブックセンターで新刊本の動向をチェックする。神保町の交差点では、日清戦争の頃に出版された京都・大阪の名所図が一枚500円で売られていた。
踵を返したら、散歩で疲れた脚を休めるため「カフェテラス古瀬戸」へ。ここはいつも比較的空いているのだが、本日はさすがにお祭りの人出で混雑していた。


すずらん通りには、早川書房青土社岩波書店などメジャー出版社の屋台が出ていて、新刊本を場合によっては半値で叩き売っていたのがとても面白かった。
昔と比べて古書店は減り飲食店が増えたが、古書店も多数生き残っていた。
特に嬉しかったのは、「文庫川村」が生き残っていたことである。
品揃えも、昔から全く変わらない。ここは時が止まっている。
文庫川村は私が良く通った古本屋の一つで、岩波文庫と新書が多数売っている。

文庫川村 - BOOK TOWN じんぼう


その他神保町古本屋で面白いのは、「全集の大人買い」が出来ることである。今は入手が難しい人文系書籍の全集が多数ある。「ニーチェ全集」「ヘーゲル全集」「漱石全集」「太宰全集」「芥川全集」「川端全集」「丸山眞男集」などがすぐに手に入るのだ。特に漱石全集は取り扱いが多く価格も安く、一番安いので3,000円であった。「世界の名著」81巻もまだあった。「世界の大思想」は見当たらなかった。ハイデガーの全集も80巻位あったはずだが、見当たらなかった。理系の洋書ではアインシュタイン著作集などもあった。
神保町には、大正・昭和期の教養主義的人文系書籍がまだまだ保存されていた。


ここはもはや展示品を購入できる博物館である。
神保町の古本屋は、もう新しく店舗が出来ることはない。
現状維持も難しいだろうし、ゆるやかに消滅して行くのだろう。
未だに20世紀の雰囲気を保存した、貴重な文化遺産である。

【瀕死語】「いまいましい」

小説などに出てくる言葉で、すぐに意味は通じるし、死語になってはいないものの、日常生活ではまず使わないし世代継承もされにくく、死語になってゆきそうだと推定されるものを、「瀕死語」と呼ぼう。

 「いまいましい」(トルストイアンナ・カレーニナ』より) 

[形][文]いまいま・し[シク]
1 非常に腹立たしく感じる。しゃくにさわる。「―・い泥棒猫め」「―・いことに今日だけ天気が悪いらしい」
2 けがれを避けて慎むべきである。遠慮すべきである。
「ゆゆしき事を近う聞き侍れば、心の乱れ侍る程も―・しうて」〈源・蜻蛉〉
3 不吉である。縁起が悪い。
「かく―・しき身のそひ奉らむも、いと人聞き憂かるべし」〈源・桐壺〉

いまいましい【忌ま忌ましい】の意味 - goo国語辞書

中年の女性が使いそうなイメージの言葉である。
大辞林の用例では源氏物語を引いている。
現代では源氏物語の使い方はしないが、とても息の長い瀕死語である。
これからも1000年位、用法や意味を変えながら瀕死のままでいるのだろうか。
なお、用例に出てくる「泥棒猫」「しゃくにさわる」も瀕死語の気配がする。現代では縁側から侵入して食べ物を盗んでいく猫はあまりいないし、お腹が痛いときに病院に行って「先生、私には持病の癪があって」とは言わない。(心理状態を表す「癇癪」は「子供がかんしゃくを起こす」など、今でも生きている言葉である)

 

【映画】視聴候補作品リスト

cinefil.tokyo

1.『メトロポリス』(1926/独) 監督:フリッツ・ラング
2.『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922/独) 監督:F・W・ムルナウ
3.『ドクトル・マブゼ』(1922/独) 監督:フリッツ・ラング
4.『ナポレオン』(1934/仏) 監督:アベル・ガンス
5.『大いなる幻影』(1937/仏) 監督:ジャン・ルノワール
6.『ゲームの規則』(1939/仏) 監督:ジャン・ルノワール
7.『天井桟敷の人々』(1945/仏) 監督:マルセル・カルネ
8.『無防備都市』(1945/伊) 監督:ロベール・ロッセリーニ
9.『戦火のかなた』(1946/伊) 監督:ロベール・ロッセリーニ
10.『揺れる大地』(1948/伊) 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
11.『自転車泥棒』(1948/伊) 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
12.『ウンベルトD』(1951/伊) 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
13.『美女と野獣』(1946/仏) 監督:ジャン・コクトー
14.『東京物語』(1953/日) 監督:小津安二郎
15.『生きる』1952/日) 監督:黒澤明
16.『七人の侍』(1954/日) 監督:黒澤明
17.『雨月物語』(1953/日) 監督:溝口健二
18.『山椒大夫』(1954/日) 監督:溝口健二
19.『天国と地獄』(1963/日) 監督:黒澤明
20.『いつもの見知らぬ男たち』(1958/伊) 監督:マリオ・モニチェリ
21.『若者のすべて』(1960/伊) 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
22.『大人は判ってくれない』(1959/仏) 監督:フランソワ・トリュフォー
23.『ピアニストを撃て』(1960/仏) 監督:フランソワ・トリュフォー
24.『勝手にしやがれ』(1959/仏) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
25.『はなればなれに』(1964/仏) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
26.『追い越し野郎』(1963/伊) 監督:ディノ・リージ
27.『情事』(1960/伊) 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
28.『欲望』(1966/英・伊) 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
29.『革命前夜』(1964/伊) 監督:ベルナルド・ベルトルッチ
30.『肉屋』(1969/仏) 監督:クロード・シャブロル
31.『ウイークエンド』(1967/仏・伊) 監督:ジャン=リュック・ゴダール
32.『絞死刑』(1968/日) 監督:大島渚
33.『四季を売る男』(1971/西独) 監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
34.『不安と魂』(1974/西独) 監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
35.『マリア・ブラウンの結婚』(1979/西独) 監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
36.『さすらい』(1976/西独) 監督:ヴィム・ヴェンダース
37.『アメリカの友人』(1977/西独・仏) 監督:ヴィム・ヴェンダース
38.『カスパー・ハウザーの謎』(1974/西独) 監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
39.『アギーレ/神の怒り』(1972/西独) 監督:ヴェルナー・ヘルツォーク

【映画】 『ジョーズ』 スピルバーグ JAWS

この映画を作成した時のスピルバーグは28歳だったそうだ。

主要人物の3人のキャラ立ちが、西遊記のように個性が分かれていて、面白い。ワイルドでアウトロー的な船長は孫悟空、真面目な警察署長は沙悟浄、少しお笑い担当の海洋学者は猪八戒のような、デコボコトリオである。

鑑賞者の想像力に訴え、フェイントと不意打ちを多用する演出は、エンタテインメントのエキスパートであるスピルバーグらしい完成度である。

戦争(『プライベート・ライアン』)や悲惨(『シンドラーのリスト』)やサスペンス(『ジョーズ』)のようなジャンルを描いても、視聴者が安心して映画世界を楽しめるように作る、本質的に毒のないクリエーターである。

子供の時は人喰サメの存在を隠蔽しようとする市長が単なる愚か者としか思えなかったが、長じて社会や世間のことを経験した後改めてこの映画を見ると、島の経済や島民の生活を考える市長が、両方に大打撃を与えるサメの存在を受け入れることができなかったのも、全くわからないものでもない。

2001年宇宙の旅』を観た時もそうだったが、模型やハリボテや絵を使用してフィクション世界を構築する1970年代映画の映像クオリティはとても高く、本作品に登場するサメもオモチャ感やハリボテ感を感じさせない。

スピルバーグ的エンタテインメントが世界中に大ブレイクした記念碑的作品として、これからも永く鑑賞されていくだろう。

【映画】『風が吹くまま』 キアロスタミ The Wind Will Carry Us

小津安二郎を髣髴とさせる固定カメラを多用した構図で、写真のような美しい映像で古い村とテレビクルーの、死と生の境界線や往復を描いた作品。
イランのクルド人村落に到着したテレビクルーの目的は村で行われる葬式を撮影すること。だがお目当ての病人はなかなか死なず、一行は足止めを余儀なくされる。

主人公は村の外部から訪れ、村人の死をじっと待つ、死神のような存在だ。死神は外界と直接交信できないのであり、村にとっての死の境界線である丘の上の墓地まで行って初めて携帯を使用する事ができる。

村人の死を今か今かと待ち受ける主人公は、死の境界線でひたすら穴を掘る人物の生命の危機に際して立場を反転させる。そのきっかけは村の外部から来た医師との出会いであった。

村に外部から入ってくるのは死神たる彼と、生命を救う医者だけである。医者との出会いで死神の主人公は、彼がその死を待っている対象である村人を診てくれるように医師に依頼し、医師が処方した薬の搬送を自ら買って出る。

死んだ先の天国への希望よりも、現世で美味いワインを飲むほうが良い。生を超越した理念より現実の生活を生きることを優先する思想を選んだ彼は、日常生活を生きる村人たちの姿を写真に取り、死神の象徴として墓場で拾って保有していた人間の大腿骨を、川に捨てる。その川のほとりでは村の日常生活を共に生きる家畜たちが草を食んでいる。

暗闇の牛小屋で心を閉ざす少女と打ち解けるきっかけになったのは、詩であった。『イル・ポスティーノ』や『蝶の舌』では言葉や知識、特に詩が田舎の何もない村に精神的な潤いを与える役割をする。この映画の題名も若くして亡くなったイランの女性詩人フォルーグ・ファッロフザードから取られている。詩の持つ根本的な力を改めて感じさせてくれる作品である。


The Wind Will Carry Us
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Wind_Will_Carry_Us
https://www.youtube.com/watch?v=g3gpDKsk_Js

フォルーグ・ファッロフザード
Forough Farrokhzad
https://en.wikipedia.org/wiki/Forough_Farrokhzad

英語訳 The Wind Will Take Us

http://www.forughfarrokhzad.org/selectedworks/selectedworks1.php

渋谷ユーロスペース キアロスタミ全仕事

http://www.eurospace.co.jp/works/detail.php?w_id=000136

【映画】『帰ってきたヒトラー』

イギリスEU脱退国民投票の翌日に鑑賞した。

これは荒唐無稽なコメディを装った、過激なドキュメンタリー映画である。

劇中劇という言葉があるが、この映画は劇中現実あるいは現実中劇である。現実と虚構があたかもヨーロッパのごちゃまぜ民族状況のようにモザイク状に入り混じり、現在のドイツの状況を浮きあがらせるものになっている。

ヒトラーに扮した役者がドイツ国内をめぐり一般人や政治団体にインタビューした映像はとても興味深い。

原作発売の2011年からさらに進行した移民・難民問題を映画化にあたって追加要素としてうまく取り込んでいる。

原作にない残酷シーンはユダヤ人を簡単に撃ち殺すSS将校を想起させるので映画化にあたって抑えとして挿入したエピソードではないかと思われる。

 

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