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ジェントルかっぱのブログ

読書、映画、美術鑑賞

【映画】『雪国』 岩下志麻/加賀まりこ 1965年

映画

川端康成原作、大庭秀雄監督。当時24歳でとんでもなく美人の岩下志麻の表情や立ち振る舞いを惚れ惚れしながら鑑賞する映画である。

ロケ地は野沢温泉で、50年以上前の野沢温泉の風景や建物、外湯、蒸気機関車を観ることができる、貴重な映像資料でもある。映画の大部分は岩下志麻木村功の会話が中心である。

情緒不安定でキレたり泣いたり暴れたりする岩下志麻のメンヘラっぷりと、自分からは何もアクションせずただ傍観者として無反応のオウム返しばかりしている木村功の対照が印象的である。

二人の会話シーンは、岩下志麻は落ち着かず常に何かをしながら立ったり座ったりして喜怒哀楽を激しく表現しながら長台詞を喋るのだが、木村功はほとんど動かず無表情で相手の言うことをオウム返しに繰り返すばかりで、その様は荒れたメンヘラ患者をカウンセリングしているカウンセラーとの間の会話のようである。

遺産により死ぬまで労働から開放された裕福な妻子持ちのインテリが田舎の温泉村に現地妻を持ち、年に一度通うという話で、相手の駒子は芸者をやっている貧困層で苦しい生活を送っているが、彼が特にそれを助けたりするようなことはない。男は全ての良いところを取って人生を十分に楽しみ、相手の女は絶望の中に沈んていくという話である。

伊豆の踊子』もそうだが、旅先で下層階級の女からモテモテの裕福なインテリ男、というのは川端お好みの設定であろう。

昭和初期のクズ男の代表モデルは『人間失格』の葉蔵だが、『雪国』の島村も良く似たようなクズ男の属性を持っている。女にモテモテだが極めて冷淡で、相手を簡単に見殺しにするという属性である。

人間失格』の葉蔵は実際の行動はともかく、自分はクズ男だという自意識があり、その自意識そのものが物語の骨格となっていた。『人間失格』は醜さを醜さとして見せつける露悪趣味があった。『雪国』のクズ男は、傍観者としてただ周囲を鑑賞しているだけである。雪国の風景も、旅情も、自分の不遇さに打ちのめされてトチ狂ってしまった女も、彼にとっては等価であり、美しい日本の風景の一部なのである。

人間失格』は、相手に深入りして一緒に地獄に落ちるクズ男、『雪国』は、安全地帯から相手の困窮ぶりを眺めながら「清らかな心の女性」とか言っているクズ男である。

醜悪さを美しさでとても上手に隠蔽している分、こちらのクズっぷりの方がよりハイレベルで洗練されていると言ってよいのかもしれない。