ジェントルかっぱのブログ

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【映画】『伊豆の踊り子』 吉永小百合/高橋英樹 1963年

監督は西河克己。50年以上前、東京オリンピックの前年に公開されたアイドル映画。吉永小百合高橋英樹もまだ存命であるから、それほど昔ではないはずなのだが、実に54年も前の作品なのである。吉永小百合18歳、高橋英樹19歳。当時まだ存命中だった川端康成が撮影の見学に来ている。それほど古い作品なのだ。この映画は吉永小百合の可愛らしさと、高橋英樹の男前っぷりと、二人の儚くも爽やかな恋を楽しむものである。

舞台設定は川端康成が伊豆の一人旅をした19歳の時、1918年(大正7年)だから、100年ほど前である。1914年に始まった第一次世界大戦が終結した年だ。鑑賞者はこの映画を通じて、100年前の日本の様子を物語世界の中で体験することができる。

登場人物の中で唯一洋装なのが高橋英樹だが、彼とて学生帽に学ラン、下駄履きである。他はみな和服で、女性は髪を結っているので、時代劇を観ているようである。旅芸人の出し物もどじょうすくいや国定忠治だ。

川端康成は当時、旧制第一高等学校の学生であった。今の東大生とは比べ物にならないくらいの、エリート中のエリートである。エリートはそれだけで高位の身分の扱いをうける。だから映画中の高橋英樹は、どこに行っても懇切丁寧な扱いをうける。

旅芸人は乞食と同等の扱いで、とても差別されている。劇中に出てくる吉永小百合(16歳という設定)の同年代の女性は、死んだらゴミのように捨てられる売春婦たちである。

経済格差だけでなく身分格差が歴然としている中で、トップエリート階級の高橋英樹と、賤民階級の吉永小百合が一時の旅の道連れとして恋愛をするのである。

吉永小百合高橋英樹との間の身分差をよく自覚している。この映画の中で印象的なシーンは二人が五目並べをするシーンだが、吉永は高橋に対して座布団を差し出し高橋はそれに座るのだが、自分は座布団を使わず直に畳に座る。また吉永の兄の大坂志郎はわざわざ送り迎えをしたりカバンを持ったりするのである。まるで自分たちが高橋の召使でもあるかのように。

一方高橋は決して尊大な態度を取るわけではなく、接するすべての人達に丁寧で礼儀正しい態度をとる。それどころか彼らに対して心づけや法事の香典を渡したりするのである。

身分の低い女とエリート学生という組み合わせで真っ先に思い浮かべるのは、『レ・ミゼラブル』のファンティーヌである。彼女は貴族学生との間にコゼットを作ったが捨てられ、コゼットをテナルディエに預けて職を失い、売春婦になり絶望の中で死ぬのである。

幸いにしてこの映画ではそのようなことにはならなかった。エリート学生の高橋は吉永に対してもとても紳士的に振る舞って終わった。エリート側は差別的態度を微塵も出さなかった。

一方それ以外の登場人物達は粗雑で差別的で卑屈である。これは当時の日本社会を反映しているところもあろうが、吉永小百合高橋英樹を清潔に美しく爽やかに見せるために構成されたキャラクター配置なのであろう。