読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ジェントルかっぱのブログ

読書、映画、美術鑑賞

【映画】『ふたりのベロニカ』クシシュトフ・キェシロフスキ 1991年

かつてキェシロフスキの『トリコロール/青の愛』を渋谷のBunkamuraに観にいった時、観客のほとんどが女性で、「おシャレなセックスをするおフランス映画」に対する女性の食いつきっぷりの良さに圧倒されたものだった。内容は「おシャレでちょっとエッチな純愛物語」といった感じで、「こういうのが女性誌で特集されるんだろうなー」以上の感想はなかった。

次にキェシロフスキに出会ったのは、『デカローグ』で、この連作はめっぽう面白く、特に、殺人犯が裁判にかけられ死刑執行されるまでを描いた作品がとても強烈であった。これはTVシリーズであるが、「硬派なポーランド映画」といった趣である。

かようにキェシロフスキには2つの側面があり、彼の中には、「日本の女性が大好きなおしゃれなフランス産セックス映画」と「人間の苦しみや原罪や運命や葛藤を描いたポーランド産映画」の2つが同居しているのである。

ふたりのベロニカ』はキェシロフスキのその2重性をそのまま映画にしたような作品である。ふたりのベロニカのうち一人はポーランド人、もう一人はフランス人である。ポーランドのベロニカよりフランスのベロニカに比重が置かれているため、おしゃれな映像と、おしゃれなセックスを楽しむ映画、という色彩が強い。ネットにころがっている感想も、おしゃれな映像センスに対する言及が多いようである。

ベロニカ役のイレーヌ・ジャコブがいかにもフランス女優らしい美しさ、色っぽさで、彼女の風貌や裸体を、美しい映像でおしゃれに楽しむことができる。

【映画】『トップガン』 トム・クルーズ/ケリー・マクギリス 1986年 パラマウント

f:id:ponshan:20170415164535j:plain

民主党支持者によるプロパガンダ画像。この画像には、プロパガンダの本質がとてもわかり易く表現されている。敵を醜く描き、味方を綺麗に描く。「価値」を構成する3要素「真・善・美」のうち、大多数の人間は「美」に最も強く影響される。「真」や「善」に影響されるためには、高い知性や強い意志を必要とするからである。これはエリートの特性であって、大多数の人間はそうではない。人間が持っているそのような特性を、プロパガンダは最大限に利用しようとする。

 

 『裏窓』で絶世の美女グレース・ケリーを観たあとは、『トップガン』でハリウッドを代表するイケメン俳優トム・クルーズを鑑賞した。1970年代の美男男優の代名詞といえばアラン・ドロンであるが、1980年代は代名詞にるような美男はいなかったようだ。あるいはトム・クルーズはその候補になりうる人なのかもしれない。

映画を観たあとで調べて発見したのは、相手役のケリー・マクギリスは『刑事ジョン・ブック目撃者』でアイリッシュの未亡人役でハリソン・フォードの相手役をした人と同じだということだ。まったく対照的な役柄で、同一人物だとは全然気づかなかった。

 さて映画の中身についてだが、この映画は『カサブランカ』や『紳士協定』と同じ系統の映画である。端的に言えば、ある特定の組織や活動に対する「清潔で格好良いイメージ」を定着させるための、プロパガンダ映画である。

カサブランカ』が作成されたのは1942年で、日本による真珠湾攻撃は1941年である。『紳士協定』は1947年の作品であるが、監督のエリア・カザン共産党員でユダヤ人という、二重に差別を受ける立場であった。『カサブランカ』は枢軸国に対するカウンタープロパガンダとしてハンフリー・ボガートを起用、『紳士協定』は反ユダヤ主義に対するカウンタープロパガンダとしてグレゴリー・ペックを起用している。どちらも当代きってのイケメン俳優で、ボギーは『麗しのサブリナ』で、ペックは『ローマの休日』で、オードリー・ヘップバーンの相手役を努めている。

f:id:ponshan:20170415165224j:plain

カサブランカハンフリー・ボガート

f:id:ponshan:20170415165258j:plain

『紳士協定』グレゴリー・ペック

トップガン』作成の1986年の前年、1985年にはロナルド・レーガンが2期目の大統領に就任、当時のソ連共産党書記長はゴルバチョフで、彼が書記長に就任したのは1985年であった。ゴルバチョフが出てきた頃はソ連のガタガタっぷりが西側に明らかになってきたころで、両国のパワーバランスの見直しが図られつつある時期ではあったのだが、レーガンはかなりタカ派の人で、ニクソンとブレジネフの間のデタントを批判し、1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻をきっかけとして緊張も高まっている時期であった。レーガンソ連を「悪の帝国」と名指しし、軍事戦略として「スター・ウォーズ計画」をぶち上げていたころなのである。

きれいでイケメンの俳優を起用して、スマートなストーリーを展開することによって対抗組織を貶め自己組織を持ち上げるプロパガンダ要素を搭載した『トップガン』であるが、この『トップガン』を否定するかのように「汚い軍隊」を描いたのが、1987年に製作されたキューブリックの『フルメタル・ジャケット』である。

f:id:ponshan:20170415165342j:plain

フルメタル・ジャケット』の「ほほえみデブ」ヴィンセント・ドノフリオ

f:id:ponshan:20170415165554j:plain

フルメタル・ジャケット』のハートマン軍曹 リー・アーメイ

 

トップガン』は海軍が、『フルメタル・ジャケット』は海兵隊が対象である。海兵隊は陸軍の色彩が濃い。『フルメタル・ジャケット』も戦闘は地上戦がメインである。

一般的な話として、海軍は好意的にあつかわれ、陸軍は貶められる傾向がある。特に負け戦においてはそうである。

日露戦争バルチック艦隊を打ち破った海軍の東郷平八郎は英雄だが、旅順攻略戦で批判的な扱いを受けた陸軍の乃木希典は、最期に自殺するのである。第二次大戦においても、東南アジアで戦死した山本五十六や沖縄沖で沈没した戦艦大和は良いイメージだが、陸軍大臣東条英機関東軍は悪いイメージである。これは、海軍というものは基本的に戦闘員同士の戦いしか行わず、民間人を巻き添えにすることがほぼないこと、負け戦はそのまま全滅に直結することから来ている。

1939年 ドイツ、ポーランド侵攻
1940年 ドイツ、フランス侵攻、パリ占領
1941年 真珠湾攻撃
1942年 映画 『カサブランカ
1945年 第二次世界大戦終結
1946年 チャーチル、「鉄のカーテン」演説
1947年 映画 『紳士協定』
1961年 ベルリンの壁建設
1981年 米国、レーガン大統領就任
1983年 レーガンスター・ウォーズ計画演説
1985年 ソ連ゴルバチョフ書記長就任
1986年 映画 『トップガン
1987年 映画 『フルメタル・ジャケット
1989年 ベルリンの壁崩壊
1991年 ソ連崩壊

【映画】『裏窓』ヒッチコック/グレース・ケリー 1954年

f:id:ponshan:20170402181142j:plain

古今東西の映画を観る楽しみの一つに、美男美女の見目麗しい容姿を鑑賞するというものがある。グレース・ケリーはシンデレラストーリーと悲劇的な死、出演作品の少なさなどで伝説を作り出した、20世紀を代表する美人女優の一人である。彼女に対抗できるのはダイアナ妃位なものだろう。

グレース・ケリーヒッチコック女優でもあり、この映画ではヒッチコックによってこれでもかと言わんばかりのプロモーションをされている。

DVDの付録映像では、この映画のフィルムは保存状態が悪く大変な修復作業が必要だったそうだ。見事に修復されたグレース・ケリーの顔、背中の肌、着せ替え人形のようにコロコロ変わる衣装は、修復スタッフが精魂をこめた匠の技の成果である。

作品は『十二人の怒れる男』や『ダイヤルMを廻せ!』のように、限られた空間の中で繰り広げられる推理サスペンスドラマで、演出の達人ヒッチコックのサスペンスとユーモアを兼ね備えた演出、その集大成と言った感がある。

f:id:ponshan:20170402181439j:plain

【美術鑑賞】『ミュシャ展』国立新美術館

f:id:ponshan:20170325120955j:plain

私がミュシャの存在を知ったのは、書店で本を買ったときにもらった栞に、『四つの時の流れ』『四つの花』が使用されていたのを目にした時だ。これらの連作は栞にするのにちょうどよい縦横比率になっている。

f:id:ponshan:20170325121048p:plain

f:id:ponshan:20170325121250j:plain

そのときに抱いたのは、「ちょっとゴツい体形のおしゃれな美人画を描く人」という感想で、竹久夢二中原淳一と同類のイラストレーターだろうくらいに思っていた。

今回の展覧会は、そういう理解がとても浅いものであったということを教えられて、とても勉強になるものであった。

ミュシャは1860年(万延元年)生まれ、竹久夢二は1884年(明治17年)生まれ、中原淳一は1913年(大正2年)生まれである。今から思うと、竹久夢二中原淳一の方がミュシャの影響を受けていると考えた方がよかったのだ。ミュシャが生まれた1860年は、勝海舟福沢諭吉ジョン万次郎らが咸臨丸に乗ってアメリカへ向けて太平洋を横断した年である。

展覧会の受付から内部に入ると、『スラヴ叙事詩』の連作に包囲される。この連作はそれぞれの絵の巨大さが圧倒的な迫力を与える。描かれている人物は等身大である。かつてルーブル美術館に行った時、ダヴィッドの『ナポレオンの戴冠式』が想像以上に巨大で迫力があった(6.21m×9.79 m)。パンフレットの表紙にもなっている『原故郷のスラヴ民族』は6.1m×8.1mである。 f:id:ponshan:20170325121355p:plain

それぞれの絵は印象派のように光や空気を感じさせるものになっている。構図はかなり凝ったもので、テーマになる人物(皇帝、王、フスなど)は大きく描かれず遠くに描かれ、浮世絵の富士山のような扱いである。遠近法は西洋絵画の透視図法や、水墨画の空気遠近法を両方取り入れている。『ロシアの農奴制廃止』では空気遠近法がモスクワの寒くて冷たい空気や開放された人々の不安心理を多重に表現する効果をもたらしていて、とても印象に残るものだった。 

f:id:ponshan:20170325121435p:plain

また彫刻作品『ラ・ナチュール』は細身で鼻筋が通っていて顎が小さい女性像で、現代のファッションモデルやマネキン人形の様である。モデルはサラ・ベルナールクレオ・ド・メロードらしいが、さらに細い。やせ細った女性を美人とする価値観は、この頃から台頭しつつあったのであろうか。f:id:ponshan:20170325121518j:plain

奇妙な感想だが、ミュシャの作品を観ていると、「この人は絵がうまいなー」としきりに思うのだ。画家が絵がうまいのはあたりまえなのだが、ミュシャの場合技巧の卓越さがどうしても目につくのである。これは伊藤若冲葛飾北斎大友克洋のような人たちと似た系譜を感じる。技巧に加えてフェティッシュなこだわりもある。ミュシャミケランジェロロダンのように筋肉が好きである。特に痩せた筋肉が。

ミュシャという人は、幕末に生まれ、印象派、浮世絵、水墨画の様式を、圧倒的なデッサン力、画力で統合し、さまざまな技法を自在にあやつり、第一次大戦後の民族自決主義に影響された政治的テーマの大作を20年かけて描き続け、チェコに侵攻したナチス・ドイツに逮捕されて釈放後に死亡した、硬派の芸術家であった。

【映画】『七人の侍』黒澤明/志村喬/三船敏郎 1954年 東宝

七人の侍』は、プロジェクトマネジメントの教材のような映画である。

プロジェクトは何らかの問題を解決するために行われる一連のプロセスである。

七人の侍』では、村に対する野武士による強奪が解決すべき問題として提示される。

最初にしなければならないのは、「ヒト・モノ・カネ」のリソース割り当てである。

「カネ」に相当するのは、今回の場合、村民による食料の提供である。

「モノ」は侍が持参する武器と、村にある一連の資材である。

「ヒト」は、まずプロジェクトを指揮するプロジェクトリーダーが必要で、これは志村喬演じる島田勘兵衛が担当する。メンバーは志村喬リクルートした6人、これに即席で訓練を施す村人男性陣が加わる。

プロジェクトのフェーズは野武士がくるまでの準備段階、野武士と戦う実践段階に分かれる。

準備段階では、リーダーの志村喬が現状を視察して確認し、プロジェクト計画書を作る。プロジェクト計画書は2つに別れている。一つは村全体の地図で、全体の戦略を立案するための最重要資料である。全ての作戦はこの資料をもとにして立てられる。もう一つはプロジェクトの組織図であり、これは平八が軍旗として作成する。

プロジェクトは成果物の作成によって終了する。今回の成果物は野武士団の命を奪うことである。この成果物リストは勘兵衛が作成する。これは地図の脇に書かれた40個の丸であり、一つの丸が一人の野武士を表す。

勘兵衛は敵を一人討ち取る毎にこの丸をバツにしていく、つまりタスク管理のチェックリストを兼ねているのだが、これがこの映画を見ていてプロジェクトっぽいなーと感じるところである。

今回の戦いで特徴的なのは、これが殲滅戦でありかつ総力戦だということである。勝利は敵の大将の首を取ることではなく、敵を一人残らず殺すことである。戦うのは武士だけではなく農民も一緒である。敵を一人ひとり中におびき入れて集団で討ち取る方式は、戦闘慣れしていない農民の戦闘力を十分に引き出すために勘兵衛が立案した優れた方式である。ただ、自軍が壊滅的な打撃を受けるまで、飛んで火に入る夏の虫のように殺されるために村に突入してくる、野武士達のマヌケっぷりは、まるでハリウッド映画で描かれるドイツ軍のようである。

もう一つ作戦として優れているのは決戦の前に行う夜襲である。事前に敵に打撃を与え一人でも多く殺すために行うゲリラ戦で、平八の戦死を出しながらも、野武士達のマヌケっぷりによりなんとか目的を達成する。

七人の侍』は三船敏郎が主人公的な扱いで、それはパッケージ写真などでの扱いからも察せられるのだが、私としてはこの映画の主人公は志村喬としたい。

経験豊富なプロジェクトリーダーが指揮したプロジェクトが目的を達成する物語としてこの映画を観ると、三船敏郎は個性的な選手かも知れないが、チームを指揮する志村喬監督の采配が、この戦いを勝利に導くために大きな役割を果たしたと思うのである。

なお今回新鮮な発見だったのは、イケメン若武者の勝四郎を演じた俳優が、『雪国』で岩下志麻の相手役を演じた木村功の若かりし姿だったということである。こういうのも昔の映画を漁って得られる楽しい発見の一つである。

【映画】『雪国』 岩下志麻/加賀まりこ 1965年 - ジェントルかっぱのブログ

【映画】『赤ひげ』黒澤明/三船敏郎/加山雄三 1965年 東宝

昭和後期の1970年代、テレビではゴールデンタイムに必ず時代劇をやっていた。その中でも松下幸之助のナショナルがスポンサーをしていたものは『水戸黄門』が有名だが、他にも著名なものとして『大岡越前』がある。真面目なインテリ風の加藤剛南町奉行大岡忠相の役をしていたのだが、加藤の親友役でレギュラー出演していたのが、竹脇無我演ずる榊原伊織である。榊原伊織はおそらく架空の人物であるが、小石川養生所の医師として大岡忠相の相談にのったりアドバイスをしたりする立ち位置であった。時代設定は享保年間であり、徳川吉宗山口崇が演じていた。

八代将軍徳川吉宗が将軍に就任したのが1716年、大岡忠相南町奉行に就任したのはその翌年の1717年、今年は大岡忠相南町奉行に就任してから300年の節目の年なのである。

吉宗が行った政策の中で有名なものに「目安箱」があるが、この目安箱に貧民用の無料病院を作るように投書したのが町医者の小川笙船であり、彼が「赤ひげ」のモデルなのである。小川の投書を受けた吉宗は大川に検討を命じ、そして建設されたのが小石川養生所であった。

1716年(享保元年) 徳川吉宗 第八代将軍に就任

1717年(亨保2年) 大岡忠相 江戸町奉行に就任

1721年(亨保6年) 徳川吉宗 目安箱を設置

1722年(享保7年) 小石川養生所開設

映画は1965年と比較的新しいながら白黒の作品である。

中心の役者は三船敏郎加山雄三だが、この組み合わせは『椿三十郎』と同じである。役どころも、主人公の赤ひげは乱暴な口調、ぶっきら棒な態度、やたら喧嘩に強いなど、椿三十郎とかぶるところがある。加山雄三も、良いところのお坊ちゃんで秀才で真面目で、最初は反発しているが、次第に三船敏郎に私淑して行って師と仰ぐようになるところなど、共通点が多い。

他の役者で存在感があるのは娼家の女主人役の杉村春子である。この人は「日本の口やかましいおばちゃん」をやらせたら右に出るものがいない。また杉村春子にいじめられていたが養生所に保護される少女のおとよ役の二木てるみも素晴らしい。その他チョイ役として志村喬笠智衆、エピソード内主役として山崎努、脇役として東野英治郎と、小津俳優と黒澤俳優が多数出演している。

3時間の大作で、途中で休憩タイムが入る構成になっている。休憩の前半と後半では作品の雰囲気が変わるのだが、これは前半を山本周五郎原作により、後半をドストエフスキー原作によったためだろうか。前半の狂女のエピソードは、漱石夢十夜のような怪奇な雰囲気がある。後半のおとよのエピソードは、人間性回復や自立といったテーマが色濃くなっている。

黒澤作品はエンタメ作品としてとても良くできているためいつも安心して鑑賞できる。

【番外編】国立科学博物館 常設展 上野恩賜公園

東京にある繁華街では新宿、渋谷が著名であるが、それらの追随を許さない圧倒的な立ち位置を持っているのが、上野である。これはそれぞれの出自からくる差であって、新宿は地名から推測できるように甲州街道の宿場町、渋谷は円山町のラブホテル街から推察できるように花街をその出自とする。

都市が発展するときにその発展の方向性を決めるのが「人の流れ」と「そこに流れる人々の階層」である。宿場町はターミナルとして人々が交通する場所であるから人が流れる。街道を交通できるのは一定層の身分と所得がある人間だから中流以上の人間が多くなる。新宿は中流階級の町であった。

渋谷は地名からわかるように谷底の地形である。人間社会の法則として、上位階層の者は地理的に高いところに住み、下位階層の者は地理的に低いところに住む。タワーマンションでも上位階は高所得者が住む。渋谷が元々は社会的に底辺の人間たちが住み働く所であったのは、この法則によるのである。渋谷は下層階級の町であった。花街は吉原とか永井荷風の『墨東綺譚』の舞台である玉の井とか、いずれも低い場所である。

では上野はどうか。あそこは山であるから、身分の高い人間の住む場所なのである。誰が住む場所なのか。そこは徳川家の代々将軍の霊が住むところだったのだ。200年以上日本を支配した一族の死者が祀られる場所、徳川将軍家菩提寺である寛永寺の境内、それが上野の出自なのである。

だから上野は元々中流階級でも下層階級でもなく、上層の特権階級の為の場所であった。その歴史的な文脈が、日本一の美術館、博物館、音楽堂の集中をもたらしたのである。現代の私達は、上野に行けばいわゆる「本物」の、古典的な文化、芸術に出会うことができる。それも徳川の威光が現代まで余波として続いているからなのである。

 

上野にある文化施設の中で比較的奥まったところにあり、地味なイメージがあるのが国立科学博物館である。だがこの施設が取り扱うジャンルは幅広い。ここは「日本館」と「地球館」に別れているのだが今回は日本館には手が回らず、「地球館」を鑑賞するに留まった。

今回は3階からB2階へと降りる形で巡回したのだが、3階の展示エリアに入った途端に度肝を抜かれた。そこにあったのは大量の動物の剥製、剥製、剥製。説明書きによると、日系アメリカ人のヨシモトという大富豪が、世界中で動物を自分で狩猟して、剥製にして、コレクションしていたものだったそうである。

それを読んで連想したのはオーソン・ウェルズの『市民ケーン』で、ケーンはその屋敷に世界中の彫刻をコレクションしていたのであるが、このヨシモトという人は、ケーンどころではないスケールの「趣味」を持った人であった。現代の動物愛護的な価値観から観ると、大量の動物の剥製は残酷で不道徳なものに見えるが、「科学的」な資料としては、これは一級品である。いつか稿を改めて論じてみたいのだが、科学というのは本質的にその中に残虐性を持っているのである。

2階は科学技術の歴史についての展示があり、江戸時代の和算、万年時計、木製の骨格標本、大正時代の自動車の復元、零式戦闘機、真空管コンピューター、ロケットエンジンなど、幅広く興味深いことこの上ない。

また日本人ノーベル賞受賞者を表彰する特別コーナーがあり、一人ひとりの業績の解説、年表が展示されていた。

年表を見て気づいたのは、2000年頃からノーベル賞受賞者ラッシュが起きていることである。その象徴的存在である田中耕一さんは1959年生まれ、1983年島津製作所入社である。私は1950年から1980年の間の30年間は日本史上の「奇跡の30年」と考えている。田中さんはその世代の申し子なのだ。その30年間に蓄積されたものが一気に花開いたのが2000年代のノーベル賞ラッシュではなかったかと思う。桜の花の命は短い。現代の日本の状況を考えると、自然科学分野で、日本国内で研究する日本人がノーベル賞を受賞するのは無理になっていくであろう。

 

ドナルド・トランプは1950年代のアメリカを「Great」と位置づけ、その時代のアメリカの繁栄を復活させることを「Make America Great Again」と呼んだ。日本もいずれ、1950年から1980年の黄金の繁栄を懐かしみ、模範として復活させようとする運動が立ち上がってくるだろう。それは池田勇人田中角栄、特に田中角栄の再評価という形で現れるのではなかろうか。1950年代がいかにエネルギッシュで希望に溢れた時代であったかは、その当時に作られた映画を鑑賞すると、わかってくる。

私が常々不思議に思っているのは、ノーベル賞はなぜこんなに権威を持っているのか、どのような経緯でそのようになったのか、ということである。権威の正当性の由来がまるで不明なのである。現代ではノーベル賞を受賞すると、まるで人類の偉人の仲間入りをしたかのようだが、一体誰がそのように決めたのか。ノーベルが巨万の富を築くことができたのは戦争のおかげである。ダイナマイトを使用した大規模戦闘が行われたのが20世紀の戦争で、例えば戦闘にダイナマイトが使用された日露戦争の旅順攻略戦は1904年である。最初のノーベル賞が発表されたのは1901年である。ノーベル賞は本来的に20世紀のものだ。

 

1階の展示で特筆すべきは、系統樹と標本の展示である。床に生物の系統樹が描かれ、その先にはそれらの生物の実際の標本が大量に展示されているのだ。この展示には圧倒された。特に印象に残ったのは蝶の標本で、蝶の羽根模様の多様性、美しさ、デザイン性、これは一体何なのだ。誰が蝶をデザインしたのか、本当に神のような超越的存在はいないのか、生物進化とは何なのか。様々な困惑と驚きと考察をもたらしてくれる、非常に優れた展示であった。

B1は言わずと知れた恐竜の標本、ティラノサウルストリケラトプス、ステゴザウルス、ブロントザウルスである。トリケラトプスが思った以上に巨大である。

B2は化石、化石、化石。さまざまな古代生物の化石に取り囲まれる。その中でも特別な枠を設けられているのが三葉虫である。三葉虫ミュージアムショップで大判小判のような大小様々な標本が販売されており、その愛されっぷりはただ事ではない。三葉虫アンモナイトは古生物界の2大スターだ。

ミュージアムショップで販売されているグッズでユニークなのは、三葉虫アンモナイトの化石、鉱物などだが、ビーカーやフラスコなどの実験器具が売られているのも面白い。

 

上野という場所は、現代の世俗から距離をおいたところで、様々な時空のレベルにおける多様な価値観に触れることができる場所である。実はその価値観は現代社会で私達がどっぷり浸かっているものとはかなり異質なもので、危険ですらある。上野はタイムマシーンであり、テレポテーションマシーンである。上野に行けば私たちはたやすく時空を飛び越えることができる。上野はドラえもんなのだ。

その中でも国立科学博物館は、古生物から宇宙、進化、工業、技術と、とてつもなく広大なジャンルを網羅してコンパクトにまとめた、知の殿堂である。国立科学博物館は人に自分の無知を自覚させ、あまりにも謎の深いこの世界の様相に戦慄を覚えさしめる。国立科学博物館は、知的スペクタクルを提供してくれる、高品質のエンタテイメント施設である。